8月16日
本日は倉敷市をご紹介します!!
面積:354.73km²
人口:483,345人
男性:235,816人
女性:247,529人
世帯数:201,601世帯
人口密度:1,362.57人/km²
現倉敷市の名称は、全国的にも観光地として知られる倉敷美観地区の周辺一帯の旧地名「倉敷村」に由来する。
倉敷という地名は、中世に支配地の年貢米や貢納物を領主へ送るために、周辺の支配地からそれらを集めておく場所であった「倉敷地」に由来しているとする説が地元の歴史家の間では有力とされる。
倉敷村はかつて倉敷地であったといわれている。
倉敷地は「蔵屋敷が立ち並んだので、『蔵屋敷』地が転訛して『倉敷』地となった」と云われ、また「倉とは船蔵屋敷あるいは水夫屋敷のことを指す」ともいわれる。
倉敷村が誕生したのは戦国時代~安土桃山時代の間(1565年~1585年)であるといわれ、『蔵敷』『倉輔』等とも書かれることもあった。江戸時代に幕府代官所が置かれ陣屋町となり、
また物資の集散地になり、川港として栄えて豪商の蔵が建ち並び商家町として繁栄。現在の美観地区周辺の基礎が生まれた。
なお、倉敷地は全国各地にあったが、倉敷市同様に現代まで倉敷地に由来する地名が残っている例がある。
たとえば同じ岡山県内の美作市林野も戦国時代頃から倉敷村と呼ばれた。
なお、こちらも江戸時代に天領となり代官所があった。1918年(大正7年)美作の英田郡倉敷町は旧郷名の林野郷(はいのごう)に由来する林野(はやしの)町に改名し備中の都窪郡倉敷町に倉敷の名を譲った形となった。
現在も林野から吉野川(吉井川支流)下流の美作市巨勢(こせ)に下倉敷という字が残っており、宇野バスが運行する路線に下倉敷のバス停があるなど、倉敷地の名残は現在も残っている。
当市は岡山都市圏に含まれ岡山市とは人的交流に加え行政面でも密接な関係を持ち、全体的に岡山への通勤・通学者が圧倒的に多い。しかし、両市は過去に県主導で行われた合併構想を破談にしており、かつて倉敷市は代官所が置かれた天領、岡山市は外様大名の城下町であったという中心地域成立の歴史的違いによる対抗心も根強いものがある。なお、児島地域は岡山市と同じ旧備前国、江戸時代は岡山藩の支配下におかれ、交通の便も岡山市の方が良いなど繋がりが強く、本社の移転や最初の出店は岡山市内に構えることが多い。
また、県境を越えて西にある福山都市圏や、瀬戸大橋(瀬戸内海)を越えた対岸の高松都市圏との交流も少なくない。市内の地域によって事情は異なるが、地理的な位置関係からJR山陽本線沿線の玉島地域・倉敷地域は福山、南の児島地域は高松への通勤・通学者もいる。
他県からの観光などでは
・倉敷美観地区
・大原美術館
・鷲羽山
特に美観地区が有名ですね♪
時代劇の様な背景に老若男女が見とれてしまうほど。
行ったことが無い方は是非!!